【ネタバレあり】眠れる森のビヨの考察と感想

皆さんこんにちは。

ごいちです。

こちらの記事では既にビヨーンズの舞台『眠れる森のビヨ』を観られた方を対象に、感想と考察を書いていきます。

重大なネタバレも含むため、まだ観ていない方は閲覧を控えて下さい。

ネタバレに配慮した感想はこちら↓

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眠れる森のビヨの感想と詳細

舞台の詳細やキャスト一人ひとりに対する自分の感想をまとめています。

こちらの作品は前情報無しで観た方が面白い舞台だと思います。

(理想は前情報なしで1回、色々考察しながら2度目、といった観方)

⇒演劇女子部 眠れる森のビヨ公式サイト

チケットはこちら。

また、遠方にお住まいの方やスケジュールの関係で観ることができない方に向け、配信が決定しました。

⇒HELLO PROJECT STREAM配信サイト

・・・観終わった後またこちらにいらしていただければ幸いです。

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作品の考察

タイトル「眠れる森のビヨ」が意味するところについて

美女とビヨ(ビヨーンズ)をかけており、非常にコミカルな印象を受けるタイトルになっています。

ここから、アラビヨやアリスと同じように比較的明るめの歌劇になるかと予測した方も多かったかと思います。

が、観劇後にこの印象は覆されましたね。

このタイトルについて改めて考えると、以下のような意味もありそうです。

  1. 眠れる森のビヨーンズ:、眠れる森の世界にいるビヨーンズのメンバーたち=美女単体ではない
  2. 眠れる森の美葉・・・眠っているのは「美女」側ではなく「美葉(ヒカル)」

パンフレットは美女=ヒマリが一人で寝ているわけで。実はこれが逆だったという。

ちなみに劇中劇では眠りの美女役は夢子がやっているわけで、この場面は実際に劇中では「あり得ない」場面なんですよね。

あらすじの変更について

実はあらすじの文章が大きく変更されています。

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初回のあらすじ

僕は、いつも幸せな日々を過ごす。君たちと、明るい未来について語り合う。
あなたと、時々むかし話をする。このままずっと、これが続けばいい・・永遠に・・

このあらすじが、公演が近づくタイミングで以下のように変更されています。

変更後のあらすじ

演劇部のヒカルは全国大会を目指し、仲間とともに今日も稽古に励む。
時々喧嘩もするけれど、最高の作品を目指して、僕たちは本気で青春する!
僕たちは今を生きてる・・!

初回のあらすじと大きく雰囲気が異なります。

が、これ、両方、ヒカルの目線なんですよね。

一つ目が、現実世界のヒカル(永遠に夢が続いてほしいというヒカルの願い)

二つ目が夢の中のヒカル(夢の中を現実として捉えるヒカル)

の目線になっています。

作品を観終わった後に改めて二つの文章を読み直すと、2つ目のあらすじが「夢の世界に縋るヒカルの姿」を連想させ、辛い気持ちになります。

あらすじの変更は、観る前の客に様々な伏線を連想させるためのトリックだったのかな、と思います。

「音」について

病院の心電図の音や、道路の自動車が走る音・クラクション、衝突する音。

ヒカルの頭痛。

冒頭から差し込まれています。これが伏線となっており、ある程度物語の構造が想像できるようになっています。

この音が不気味なんですよね。

ただ、これがミスリードとしても作用し、

「実はヒカルは死んでいた?」や「実はヒマリは死んでいて幽霊?」

と思う観客も多かったかと思います。

パンフレットの伏線

眠れる森のビヨのパンフレット

作品を観た後に改めてこの表紙の写真をみると、少し不気味にも見えてきます。

まるで演劇部のメンバーたちが眠り(死)の世界から別の世界にいるヒマリを眺めているかのような。

この作品をダークファンタジーとして捉えた時にハッとする構成の写真になっていますね。

また、パンフレットの中身の人物紹介にも伏線がありました。

ヒマリの位置が少し離れていること、写真にピンク色のドロップシャドウがかかっていることから、「違う世界」の人間であるということがあらわされています。

これ、観終わった後に見なおして「おおっ!」となりました。(買って中身を見た人しかわからないところ)

登場人物の名前について

名前の付け方のルールがバラバラ=ヒカルの人物に対するイメージ

カタカナや漢字、苗字と名前が入り混じっています。

キャストの公開時点から何かあると感じていましたが・・・この「ルールがバラバラ」な名前の付け方には意味があると思います。

(通常演劇作品などでは表記が統一されるものです)

これは、劇中の学園生活が「完全に過去をなぞった世界」ではなく、「ヒカルの夢の中で創り出されたヒカルの世界」であることをあらわしているのでは?

眠れる森のビヨは現実ー夢ー夢の中の劇中劇という構造の作品ですが、夢の世界もまたヒカルが描いたあらすじと描写に基づく劇中劇になっていると捉えると、作品の観方がまた変わってきます。

(何故浜田先輩は先輩付きで山上は呼び捨てなのかwヒカルの深層心理的に山上は山上だったのかwヒカルは心の中で山上を呼び捨てしていたのだろうかwなんてことを思ったりもしましたが。)

夢子が漢字になっている理由

問題は夢子です。

ヒカルのことを好きな夢子が何故先輩たちと同じように漢字名になっているのか、引っ掛かりました。

  1. 「夢」という名前を伏線効果にしたかった
  2. 現実世界ではヒカルのことを好きゆえに少し距離を空けていた
  3. ヒカルにとって特別な存在だった(現実世界ではヒカルが夢子のことを好きだった)

実際のところどうかはわかりませんでした。

皆様はどう思いましたか?

ヒカルの名前の由来

ヒカルは、性別こそ違いますが、実際はこの物語において「オーロラ姫」にあたる立場でした。

オーロラは日本語で極光⇒ヒカルです。

ノゾミ・カナエ・タマエについて

欽ちゃんの番組にそのような登場人物がいたそうです。

ただ、この物語においては、「望み叶え給え」という意味がありそうです。

ヒカルにとっての望み、それは、皆と過ごした青春が「このまま永遠に続けばいい」そして、夢の先・・・「ブロック大会に行きたい」ですね。

ツムギについて

自分では思い浮かびませんでしたが、考察スレにて以下の内容がありはっとしました↓

ツムギの名前は眠れる森の美女の糸車から取ってんのかな

オーロラ姫=ヒカルを眠りにつかせる糸車・・・確かにそうかもしれませんね。

以下の書き込みもはっとさせられました。

生者サイドが「光」「日まり」で現実を意味し
死者サイドが「夢」を「紡ぎ」、「望み」「叶え」「賜え」で現実的ではない事象をあらわす

凝ってるね

これは気が付かなかったです。

夢の中の世界を「ヒカル脚本の演劇」として捉えた時にわかること

どこまで現実にあった話なのか、曖昧になってきます。

作中で眠れる森の美女の演劇をやっている時に、

「これって、ヒカルが脚本書いて王子様役やってるってことだよね?」

というような台詞がありました。

この台詞、何気にもの凄く深い台詞ですよね。

その「眠れる森の美女」を演じている学園生活そのものが「ヒカルが脚本を書いて主役を演じている世界」なわけで、現実のヒカルに対しても当てはまるわけです。

と、同時に気になるのは、「どこまで現実にあった話なのか?」ということです。

ヒカルの「結束感を創り出すためにやったんだな?」といった言葉から、ツムギが衣装を裂くシーンは、現実世界で実際にあったわけではなく、ヒカルが夢の中で描いた、より夢を居心地の良いものにするための脚本であったことがわかります。

ツムギがヒマリに気づくシーンなども、夢の中でしか起こり得ない話、ヒマリについて演劇部のメンバーが話すシーンもそうですよね。

改めてそう捉えると、はじめから作品の中で様々な違和感がちりばめられていることがわかります。

これが、この作品を2度観ると更に面白いのでないか?と思う理由です。

となると、その他のシーンもどこまで本当にあったことなのかがわからなくなってきます。

ヒカルのいないところで夢子が喋っているシーンなどは、「ヒカルが知らない」ため、ヒカルが夢の中で描けるはずがないからです。

そのため、本当に夢子はヒカルのことを好きだったのか?といった疑念も沸いてきます。

一方で、悲劇を招いた原因が全員でバスに乗ったことであることから、演劇で勝ち上がっていったことは本当だとわかります。

個人的には、彼女たちの性格や主だった出来事、培った青春は本当にあったことで(そうでないとヒカルが「失ったこと」を悔やみ夢に逃避することに繋がらないため)事故の前後のみ、本当につらい記憶なので書き換えようとしたのではないか?と思いました。

ただ、名前の表記など、ヒカルの主観で出来上がった世界ゆえ、ヒカルの主観につくりあげられた世界であるのは間違いないんですよね。

そのため、この作品は「ヒカルの描いた夢(脚本)の中にあるイメージと現実が入り混じった、劇中劇をなぞるような作品」であることがわかります。

夢に引きずりこもうとした演劇部メンバーについて

あくまであれは「夢の世界に逃げたいヒカルが描いた姿」であり、現実とは異なるのだということは理解して観た方が良いですね。

本当の彼女・彼らはヒカルの幸せを願っているかもしれない。

ただ、解釈によっては、演劇部で過ごした瞬間が最高だったからこそ、皆の願いであるブロック大会へ・・・夢の先へ皆で本気で行きたかったのかもしれない。ヒカルを連れていきたかったのかもしれない、とも思いました。

ヒマリが主役を演じた物語

ヒカルが叶えられなかった夢をリベンジするために、ヒマリがオーロラ姫として「眠れる森の美女」を再演する、という説、アツいです。

今度は、目覚めて、現実と向き合う話として。

その先のことは誰もわかりませんが、もしそうだとしたら、この話、少し希望が持てますね。

本作がメンバーに与えた影響

ハロプロ演劇はステーシーズやリリウムなど名作を多く生み出しており、また、それらの作品の余波が少なからずメンバーのその先の在り方に影響を与えることがありました。

本作は、ビヨーンズにとっても、アイドルが行う演劇という意味でも、かなりチャレンジングな物語になっており、与える影響も大きかったのではないかと思います。

配役も「普段のキャラクター」とは大きくことなる役どころが多く、ビヨーンズのメンバーの「可能性」を大きく拡げる作品だったと思います。

ビヨーンズというグループが、ただトンチキで明るいだけでなく、深みのある演技や歌を表現できることを伝えられたことは、本作品の大きな収穫だと思います。

メンバーのブログを観ても、作品に感情移入していることが伝わってきます。

観劇後に改めて島倉さんなどブログを読んでみると、作品の雰囲気を大事にしていることが伝わってきます。

「明るい話が見たい!」というファンにとっては辛い作品ですが、この作品を観ることで、彼女たちの青春の輝きを「今」観られていることのありがたみを改めて感じられるようになりました。

ただ、冒頭の制服&学園描写が最高すぎたので、『ビヨーンズ学園』として次はめっちゃ明るいやつプリーズ!!という気持ちにもなったりしました。

絶対面白いでしょ。

演技力表現力が凄いから、何をやっても面白い作品にできる気がするんだけど、学園モノやっぱり最高だよね。

もうコッテコテのやつ。

探偵学園Qみたいなやつでもいいけど。

観たい。

ハロープロジェクトのスタッフの方、もしくはテレビ局の方、お願いします(笑)

自分の青春時代を思い出した

自分も高校時代、文化祭で演劇をやっていました。

当時行った夏芙蓉と言う演劇は、この作品とよく似ている筋で、同級生たちと想い出話をしていたが、実は自分以外が亡くなっていた、というストーリーでした。

なかなか意見がまとまらず、少なからず衝突したこと。

グループに分かれてそれぞれ練習したこと。

文化祭で主宰をやり、賞をとって、泣きながらみんなで抱き合ったこと。

作品を観ながら、当時のことを思い出しました。

この「眠れる森のビヨ」は、青春が過去になった多くの大人に、その輝きの時を思い出させるものがある作品でした。

そして、そうした輝きを乗り越えて大人になった自分を改めて見つめること、今と向き合うために背中を押す作品でもありました。

解釈としては、少しエヴァンゲリオンと重なる面がありました。

パンフレットの中島庸介さんのコメントを読んだ時、ああ、この作品は、過去を乗り越えていく話でもあるんだな、と思いました。

美しい思い出と、向き合う現実と。出逢いや別れを経験しながら、成長していくんだなあ、人間。

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ビヨーンズの演劇は毎回素晴らしいです。

次も楽しみになってしまいますね。

 

\参考になった方は是非!/

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