宝塚歌劇団「フライング・サパ」の感想と解説と考察。名前の由来など調べてみた。

みなさんこんにちは。
今回は今月鑑賞した宝塚宙組公演「フライング・サパ」を紹介していきたいと思う。今回観に行った「フライング・サパ」は、作・演出の上田久美子先生が生み出したオリジナル作品。太陽の熱を失った地球から水星へと移住した人々の管理統制社会を描いた近未来SFだ。コロナ禍のためトップスターの歌唱はなく、ミュージカルというよりは「舞台」色が色濃い作品だった。相変わらず世間は自粛ムードの中、席数を減らすなど工夫をしながらなんとか公演を実現してくれたことに感謝したい。

物語は、過去を無くした兵士「オバク」の独白から始まる。

「夢・・誰かの・・・・この場所は・・・・知らない・・・・・誰かの夢・・・・・・交わったのか・・・いつ・・・・眠ったのか・・・偶然とは何か?・・・・・道を尋ねる・・・・・だが、どこへ?」

スポンサードリンク

あらすじ

公式サイトのあらすじをみると、まるで散文詩のように、美しい言葉が散りばめられているが謎も多く、物語や登場人物の全容がわからないようになっている。

未来のいつか、水星(ポルンカ)。過去を消された男。記憶を探す女。謎に満ちたクレーター“SAPA(サパ)”。到達すれば望みが叶うという“SAPA”の奥地。夢を追い、あるいは罪に追われてクレーターに侵入する巡礼たち。過去を探す男と女もまた、その場所へ…。
追撃者から逃れて、2112時間続く夜を星空の孤児たちは彷徨する。禁じられた地球の歌を歌いながら──

宝塚歌劇公式ホームページ「FLYING SAPA」あらすじより引用

漫画「ぼくの地球を守って」やアニメ「ボトムズ」、映画「オブリビオン」などの謎の多いSFロマンが好きな筆者にとって、あらすじだけで既に心躍るものがあった。作者の上田先生もおっしゃっていたが、謎が多く、少しずつ関係性や設定が明らかになっていくことを楽しみながらみることができる作品のため、ネタバレなしにみるのがよいと思う。

以下の部分は既に作品を観て、他の人の感想や考察を見る、或いは共有したい方向けに書いていくので、まだ未鑑賞の方は気をつけてほしい。

解説

「SAPA」到達までのあらすじを細かく書いてみた

遥か未来。太陽の活動が弱まり、土地と資源を求め激しく争う人々。戦禍を逃れ宇宙船に乗り込んだ人々は、光を求め水星へとたどり着いた。酸素が薄く過酷な地である水星において人々は「へその緒」と呼ばれる生命維持装置を付け生活することとなる。人々は、平和主義者の総統の元、「へその緒」を通し解析された脳内の思想や記憶を政府にて一元管理することで、人種・言語・宗教・国家の存在しない完全統制社会を築いていた。

水星では、危険思想や犯罪思想を抱く人物は、記憶を抹消(漂白)され、兵士として再教育を受けることとなる。オバクもそうした兵士の一人だった。ある日、オバクはへその緒を通じ他人の意識の中に入り反社会的人物の探索を行う中で「自分のへその緒 (生命維持装置)を破壊する」自殺願望のある女を探知する。

過去を消された兵士、オバク。

自らの記憶を求め禁足地「SAPA(サパ)」を目指す女、ミレナ。

偶然か、必然か・・・たどり着くと願いが叶うと言われる禁足の地「SAPA(サパ)」の奥地を目指し、二つの運命は、再び交差する。

スポンサードリンク

「フライング・サパ」の音楽

地球の歌を禁じられた水星での物語という設定上、SAPA以外では歌唱場面は無い。ただ、統制社会である水星において政府の関与しないある種の「無法地帯」となっているSAPAでは、「地球の歌」としてノア(芹香斗亜さん)が歌うシーンがあり、他で歌唱のシーンがない分際立ってみえた。

また、劇中の音楽はパリを拠点にして活躍するサウンドクリエイター「三宅純」さんが主に手がけているようだ。最近だと蜷川実花さん監督の「人間失格」を手がけ、その他CMからアニメまで様々な作品に参加され世界から評価されている方だ。

フライング・サパのサウンドは、全体的にダークでミステリアスな空気感が漂っており、無機質な統制社会である水星(ポルンカ)や荒廃した「SAPA」の世界観と非常にマッチしている。特にテーマ曲とも言える「Stranger’s Dreams」は、その名の通り見知らぬ誰かの夢のような、ロマンチックでどこか奇妙なサウンドになっており、作品の世界観の演出に役立っている。

作品の衣装

有村淳先生が手がけている。近未来のSF作品だが、宇宙服や光線銃といったものは出てこないため、衣装も私服のような質感になっている。日常着だか品格を感じる絶妙なバランス感で仕上げられていると感じた。統制社会である水星の住民は、画一化された無機質さをあらわしているようで、白や灰のモノトーンを中心としたシンプルな風采。白系統の服は「漂白」を暗にあらわしているのか。宝塚らしい華美な衣装ではなく、むしろかなり大人しい。主役のオバクも水星の兵士らしくモノトーンが中心の装いだ。しかしそれがオバクの「派手さはないが風のような自然さと頼もしさがある」アンニュイな魅力を存分に引き出している。何よりオバクとノアのすらっとした体型にロングコートやフードが似合いすぎている。

また、服装はシンプルながらもキャラクターの魅力を存分に引き出すギミックが詰まっている。例えばミレナの肩。少し開いた肩やアームカバーが、彼女のコケティッシュなキャラクター性を際立たせている。全体的に、絵にしても様になりそうなアイコン性のある衣装だと感じた。

舞台を演出する映像効果

映像デザインはアートディレクターの上田大樹さんが手がけている。木村カエラの「リルラリルハ」など人気作品を多数手がけている。作中のニュース番組の演出や、SAPAへ向かうシーンなど、 CGなどの映像効果がふんだんに使われていた。こちらは舞台という狭い空間において「水星」や「 SAPA」の世界を表現するのに役立っていた。近年みた舞台の中でもかなり積極的に映像を活用しているように感じた。

感想

まずは、この大変な時期に上演していただいたことに感謝したい。そして、宝塚ならではの圧巻の演技力と声や動作の優雅さに終始圧倒された。まるで漫画からそのまま出てきたような華麗さ。自分が水彩画家で、絵がうまければ、このシーンを絵にして永遠に飾っておくのにと、そう思った。何度か描いてみたが下手くそすぎて悲しくなった(笑)これを機にたくさん描いて練習してみようと思った。

下手くそな絵
下手くそな絵

月や日食(?)を背にして語るシーンや手品をするシーンなど、一瞬一瞬全てが語り継がれる映画のワンシーンのようで、月夜に照らした絵画のようで、美しかった。

あと、上田久美子さんの脚本がすごい。こうして記事にしていても、ひとつの舞台の中によくここまで色々と詰め込むことができたなあと驚くばかり。単なる感想のブログが7000文字近くなることはあまりない。(笑)

登場人物がいちいちかっこいい

最高にかっこいい4歳児:オバク

真風涼帆さん演じる過去の記憶を消された兵士。統制社会の中で日々に「退屈さ」を感じており、へその緒を通じて栄養補給をしているため本来水星人にとって不要な「コーヒー」を飲むことをまったりと愉しむという、水星の兵士らしからぬマイペースなところがあるアンニュイな男だ。犯罪思想や危険思想を取り締まる業務を行っている中で、「自殺願望のある女」を発見し取り締まりに行くことで数奇な運命が交差することとなる。記憶を失っていることもあり無気力さがあるが、後半になるにつれ本来の「意志の強さ」があらわれてくる。終盤のSAPAの民を束ねていく様はまさに頼れる「レジスタンスのリーダー」だった。惚れる。とにかく声も動作も「オバクらしさ」というものが真風さんの中から溢れ出ていたため、その魅力にのめり込んで観ることができた。

イエレナと寝たあとの「お前は俺を知りすぎている」「お前と寝たのは初めてじゃない」という台詞が艶すぎた。仲間を殺した罪も、過去の悲しみも、思い出せないことで感情も生まれない、空白の孤独。オバクは、たとえ記憶を手にしてもイエレナがサパで過ごしてきた復讐のための4年間は共有することはできない。これが辛い。

復讐に燃えるレジスタンス:イエレナ

「過去」と「現在」の変化がとてつもなく、本当に辛い4年間を過ごしたのだということが伝わってくる。何よりそれを愛する ( 愛していた)人と共有できない悲劇。夢白あやさんの真に迫った演技も素晴らしかった。感情がこもりすぎていて、喉が枯れないか心配になったぐらい。

イエレナを支えるいい男:ノア

表向きは精神科医だが実は反政府運動を行う活動家。作中随所でオバクと争う男前っぷりを見せてくる。「箱舟」の名を冠しているが、まさに作中の様々な人物にとって心のオアシスとなる存在だった。イエレナが投降兵に銃を向けた際も殺害を止めようとする、記憶を失くしたオバクに同胞を殺された経験もあるがそれを引きづり恨む素振りを見せずむしろ理解者として接するなど、人格者かつ、心根が優しい人物。とにかくかっこいい。

なんかかわいい:タルコフ

気ままでマイペースなオバクに振り回されるかわいそうな男。立ち回りとしては可哀想なんだけど、振り回される姿がいとおしかった(笑)

ポルンカの管理社会は今の現代や国家の問題点を連想させる

へその緒というデバイスに管理統制される水星の社会は、極端にも見える一方、スマートフォンという今や必要不可欠となっているデバイスに情報管理される現代社会を皮肉的に表現しているようにも見える。デバイスの進化と共に生活の利便性が増す一方で、国家や企業が管理する個人情報は際限なく増えている。実際に、AIカメラによる生体認証や、SNS監視など徹底した情報管理により発言の制限や思想の統制を行っている国家も存在している。異なる人種に一つの言語を強要し、ひとつの共同体を目指し拡がり続ける独裁国家の在り方は、どこかポルンカの社会を連想させる。

そうした極端な形でなくても、この情報化社会の中で、何か発言をすれば異なった意見の人間に叩かれ、角の立つ発言や思想が「ひとつの正しい在り方」に矯正されることは、よくある。人と人が直接的に交わる機会が減ったコロナ禍の中でその「一つの正しさへの画一化」を目指す社会の動きは更に加速しているように見える。

国家・宗教・言語といった「違い」は争いの原因ともなり得るが、それを無くそうとすることはむしろ「違いを抹消する争い」の種にもなり得るという矛盾を孕んでいる。そのような矛盾をはらみ混沌としつつある社会に対し、この作品は「違いを受け入れ、前を向いていく」人の強さを描くことである種の希望を描いている。観終わった後にずっしりと余韻がのしかかってきて、ジワジワと感動が溢れてきた。

「宝塚らしさ」といった表現はしっくりこないが「宝塚しかできない」美しさがそこにはあった。コロナの影響で歌はあまり歌えない、ソーシャルディスタンスがある中でここまで「魅せる」芝居ができるのは、素晴らしい。

理解が難しかった方や復習したい方のための作品解説

へその緒とは?

酸素や栄養資源の少ない水星で人々が暮らせるように、科学者であるブコビッチが生み出した酸素・栄養を供給できる埋め込み型のデバイス。これがあることで水星でも人々は地球と同じように暮らすことができる。胎児に栄養を供給する実際のへその緒と同じように、人々の生命維持装置として機能している。

ブコビッチは更にここにロパートキンが開発していた「個人の思考データを解析するシステム」も搭載しようとしたが、ロパートキンは科学に政治的なものを持ち込むべきでないと強く反発した。これにより両者の溝が深まってしまう。結果的にロパートキンを殺害した後総統となったブコビッチは、解析した思考データをデータベース「ミンナ」に集約し一元管理することとなる。

これによりブコビッチは全ての人々の生殺与奪の権を握る絶対的な権力者となった。

なぜ人々は水星へと逃げたのか?

太陽の核融合反応が落ち着いた頃の世界ということで、光を失った地球は食料となる動植物の育成が困難で、人類が住むには過酷な環境になっていたのだろう。

一方で水星は

  • 太陽からの距離が近い太陽系の惑星
  • 地球からの距離が近い惑星

上記の2点から、太陽活動が弱まった時に移動するには最適な惑星だったということだと思う。

SAPA(サパ)って何?由来は?

調べてみると、「ベトナムのラオカイ省に属する市社」となっている。このサパという地域は、標高が非常に高く、ベトナム国内で最も高いファンシーパン山に隠れていたため、国内の地図に載ることなく、人々は、低地の人々に占領されることなく暮らしていた。

「地図にのらない地」という意味で、ここが由来だろうか?もしくは、フランス語に「切り崩す」という意味の「sapar」という言葉があるので、ここからか(統制社会を切り崩す糸口となったため)。

その他、登場人物の名前の由来など考えてみる。

オバク:①089。89という数字は24番目の「素数」である。 ②デンマークの時計ブランドにOBAKUというものがある。ブランド名は隠元禅僧や禅という思想からインスパイアされてつけられたという。過去と現在と未来という「時」の狭間で、自己の存在意義について煩悶しながらも前を向き進む彼にふさわしい名だと思う。

ちなみに記憶を失う前の「サーシャ」という名前も348、といったように数字であらわすことができる。こちらは割り切れる。

ミレナ:①307。 63番目の素数。②ミレナ・イェセンスカーという翻訳家がいる。ミレナの一族は当時禁止されていた死体解剖を行って処刑された医師の子孫にあたる、とのことで、ブコビッチの後継者であるミレナと重なる部分がある。また、共産党員の過去を持ち、ユダヤ人援護運動に関わり逮捕されるなど、壮絶な人生を歩んでいる。かの有名な作家「カフカ」の知り合いでもある。 ③ホルモン付加子宮内避妊具にミレーナというものがあり、へその緒デバイスとの深い関与からここからとっている可能性も・・・ないか。

ちなみに、記憶を失う前のニーナという名前も27、或いは217と数字であらわすことができる。こちらも割り切れる。

ノア:由来は、旧約聖書の創世記に出て来るノアの箱舟だろう。神が大洪水を起こした時、ノアだけ神に命じられ家族や動物と箱舟で避難することができた。人類の絶滅を防いだ救世主といえる。作中でノアといえるのは水星に向かう宇宙船だが、ノア本人がというよりは、作品に沿った名前ということだろう。その優しさが、殺伐とした世界の中である意味オアシスとして機能していたが。

ミンナ:皆。

オバクとミレナが素数であることの意味

ポルンカでは人々は名前の代わりに数字を充てがわれるが、オバク(30011)であり(089)とミレナ(2)であり(307)はそれぞれ素数になっている。総統が1人目であれば、ミレナが2人目であるのはある意味必然なのだが。オバクとミレナが素数という意味で一致したのは偶然かもしれないが、この世界での人と人との出逢いは偶然と偶然が奇跡のように重なり合って生じるので、この偶然の一致は、二人に「人知を超えた何か運命的なもの」を感じさせるものとなった。

また、漂白されて記憶という繋がりが途切れても、「自己」という最小単位が残った、という意味もあるかもしれない。全てを画一化し、漂白していっても、それぞれの数字に素数のような「意味付け」が生まれていくというのは、どうまとめようとしても、個人というものは無くならないという一つの答えになっているようにも感じた。

ちなみに、総統の 01は素数も含め全ての数字を割り切ることができる。これは総統というものの絶対権力をあらわしていると言うことができるかもしれない。

ブコビッチは何故へその緒に思考データ解析システムを搭載しようと考えたのか?

研究に没頭した理由の一つが、戦争における「難民」という本来は乗船できる身分にない人物だったが「科学者」であることから必要とされていたため、その「自己の存在理由」を確立しようと躍起になっていたこと。

もう一つが、争いへの恨念。家族と娘を失ったブコビッチは、争いの原因となった「思想」「国家」「宗教」といった違いを強く恨むこととなる。そして争いの原因が違いであるならば、これを無くせばよいと考えていた。その考えを理解できなかったロパートキンとはまさに、その「違い」が原因で争うこととなってしまうが、この争いが、ブコビッチを「違いこそが争いの原因となる」という自分の思想を確信に変え、人々を一つの人格としてミレナの中にまとめるという狂気へと走らせる一助となってしまった。「違いを一つにまとめようとする」ことこそがまさしく自らが巻き込まれた戦争の、そして自らの死を招いた争いの原因であるということに気付くことができなかったのが、この作品における一番の悲劇だ。

オバクたちのその後は?

それは誰もわからない。続編やスピンオフがあれば観てみたい(笑)

ただ、滅びゆく地球から抜け出す「箱舟」から、新たな希望を求めて旅立つ「箱舟」へと乗り換えたオバクは、願いが叶う地「サパ」の名を冠する宇宙船で、巡礼者たちと共に、過去ではなく、希望にあふれる未来を築くことで、そのサパの迷信を現実に変えることだろうと思う。

まとめ

ちょっと記事が長くなりすぎた。とにかく語りたくなる作品ということだろう。

この作品を観て、もっと宝塚の作品に触れたくなった。とにかく演者もスタッフもプロだということだろう、非常によいものに触れた満足感が得られた。男性客は少なかったが、謎の多いSFということで、結構刺さる人は多いのではないかと思った。逆に、宝塚が好きな人にとっては賛否が分かれそうだなとも思ったが、「新しいもの」や「挑戦」というのは、いつの時代も美しい。

今はコロナもあり、総理も変わり、在り方が目まぐるしく変化している世の中だが、そんな中でも、「在り方」について考える機会を与えてくれる、そんなよき作品だと思った。

スポンサードリンク
最新情報をチェックするならこちら↓