2020年11月に赤坂actシアターにて上演されたミュージカル「NINE(ナイン)」観てきました。
城田優さん出演のミュージカルは「ロミオとジュリエット」以来なので結構久しぶり。
月日を経て憂いと艶が増した城田さんの演技が見どころでした。
今回は
- 作品の基本情報(脚本・音楽・公演場所について)
- 作品の原作(原作映画、映画化作品について)
- 作品の考察(9の意味やラストシーンの意味について)
- 作品の感想(舞台セット、衣装、出演者、ストーリー)
上記の点についてまとめてみました。
ミュージカル「NINE(ナイン)」基本情報
脚本・音楽
脚本・・・・・・アーサー・コピット
作詞・作曲・・・モーリー・イエストン
「ファントム」を手掛けたコンビですね。NINEのトニー賞受賞等の反響からあの有名なファントムが生まれたといっても過言ではありませんので、そういう意味でも「NINE」はミュージカル界にとってかなり意味深い作品といえます。
演出
演出は藤田俊太郎さんが手掛けています。
ニナガワ・スタジオで蜷川幸雄さんの演出助手をされていたこともあるそうですね。有名どころですと2017~2019年までミュージカル・ピーターパンの演出をされていました。また2019年にはVIOLETの演出でロンドンデビューもされており今注目が高まっている演出家さんですね。
2020年公演スケジュール
東京公演:2020年11月12日(木)~21日(日)@赤坂actシアター
大阪公演:2020年12月5日(土)~13日(日)@梅田劇場メインホール
で行われています。
リトル・グイド役は3名が持ち回りで行っています。
自分が観に行った回では大前優樹くんでした。キレイな声で今後も楽しみな役者さんです。まーちゃんオタク的には名前も高評価。
ミュージカル「ナイン」公式PR動画
城田優さんのセクシーで陰のある雰囲気がたまりませんね。
鑑賞時はがっつり髭を生やしていました。おそらくですが城田さんより実年齢の高いグイドの役に寄せたんではないかと。
グイド自体は嘘つきで自己中心的な性格の男ですが、あふれ出す情熱的魅力が素敵です。
ミュージカル「NINE(ナイン)」のあらすじ
新作映画のクランクインが迫る中、愛人や妻など、グイドを取り囲む女性たちの幻想に逃げ込もうとするグイドだが、やがて孤独な現実の中に追い詰められていく・・・。
ざっくりまとめるとこんなところでしょうか。
プロットの構造自体はかなりさっぱりしています。恋愛の情熱的な描写と歌が見どころのミュージカルですね。
母や娼婦、良妻賢母、愛人に理想の女性と、様々な形の愛に求められ、同時に幻想を追い求めるグイド。
男の夢?それとも悲劇?捉え方が人によって異なりそうな作品ですね。
これだけ見ると非常に重苦しい作品かと思われてしまう方もいるかもしれませんが、全体の雰囲気はユーモアもあり明るさの方が目立ちました(だからこそ観客としては感情の持っていき方が難しい作品でもありました)
作者の「作品を使った壮大な自虐」という点(解釈は人それぞれですが)が、付き合ってきた女性たちにお別れを告げていく太宰治の未完の遺作「グッド・バイ」にちょっと似ているかな、と思いました。
度合に差異はあれど作者の価値観であったり人生経験は作品に反映されるものですが、色濃い作品はリアリティと生々しさが段違いですね。
ミュージカル「NINE(ナイン)」の原作
原作はフェデリコフェリーニの自伝的映画「8 2/1」
今回上演された「NINE(ナイン)」は、1963年公開の映画「8 1/2」(ハッカニブンノイチ)を原作にして上演されたブロードウェイミュージカル「NINE」の日本公演です。
8 1/2はアカデミー賞の外国語映画賞を受賞し、ラストの表現など、今も数多くの映画監督に影響を与えている作品ですね。
この8 1/2という作品は、フランス人映画監督のフェデリコ・フェリーニの半自伝的作品。
スパリゾートを訪れる映画監督の創作の苦悩と女性たちとの関わりを描いた作品・・・と、ベースとなるプロットはミュージカルと共通していますが、主人公の映画監督の名前が「グイド・アンセルミ」だったりと異なる点が結構あります。
ちなみにこの8 1/2というタイトルは、フェリーニ監督の8と1/2作目(初作は共同監督だったため1/2)という意味が込められているとか。
ちなみにフェリーニ監督は「ナインの脚本家のモーリー・イエストンに『8 1/2』を『9』にしてくれてありがとう」という言葉を贈ったというエピソードがあるようですね。(参考記事:ほぼ日刊イトイ新聞 今年『ナイン』は大当たりする!)
自伝的作品をベースにしているため生々しさがある
監督の自伝的作品・・・というと、筆者が最近観た映画では「エンドレス・ポエトリー」や「シング・ストリート」が記憶に新しいです。
また、演劇で言うとテネシーウィリアムズの「ガラスの動物園」も長期的に上演される自伝的作品のうちの一つですね。2019年に文学座の上演を観に行きましたがこちらも心臓を抉られる苦しさがある作品でした。
芸術はある意味で作者の人生経験の昇華による産物ですから、経験が濃密であればあるほど芸術家は芸術家として源泉となるネタがあるといえるでしょう。そういう意味では、経験が生身に近い形で露呈される自伝的作品は、生み出していった作品の源泉ともいえる部分に触れることができるという愉しさがあります。
この生々しさこそがこの作品の魅力であり苦しさにもつながっていますね。
後味がスッキリしないものも多く、好き嫌いは分かれると思います。
ただ、こちらの映画のラストシーンの表現の芸術性は、他の多くの作品に影響を与えたはずです。
ミュージカルの理解をさらに深めたい方はぜひご覧ください。
その他、8 1/2の女たちという映画も世に出ています。
こちらはピーター・グリーナウェイ監督がフェリーニにオマージュとしてささげた作品ということで、内容に関しては大きく異なります。フェリーニの作品に影響を受け、好みの女性たちを集めて娼館を建てた富豪の男性の物語ですね。
映画版のNINE
ミュージカルとなった「NINE」は1982年に初演され、トニー賞を受賞した人気作品で、2009年には映画化もされています。
1963年に公開された原作映画~ミュージカル~映画とかなり長期間に渡り世界中で愛されている作品ということですね。
(※個人的に、サラギーナ役でファーギーがキャスティングされていたことに驚きました。)
映画版はストーリーの大筋は共通していますが内容は異なる点が多くあります。
「ナイン」の題名の意味と由来
原作の「8 1/2」はフェデリコ・フェリーニ単独の映画作品として8作と1/2作目(共同監督した「寄席の脚光」という処女作を加えて1/2作)という意味が込められています。ミュージカル版は、これに半歩として音楽とダンスを加えた「9」と、9歳の少年グイドを意味し「NINE」となっているようですね。
また、上演する時によりやや内容が異なっていますが、2009年の松岡充さんがグイドを演じた際はグイドを取り巻く「9人」の女性の意味で表現されていたようです。
一方、今回はメインキャストを見る限りだと
- グイド
- ルイザ・・・正妻
- クラウディア・・・グイドのミューズ
- カルラ・・・グイドの愛人
- サラギーナ・・・グイドの原点となった娼婦
- ネクロフォラス・・・グイドをこき下ろす映画評論家
- スパのマリア
- 母
- ラ・フルール・・・グイドを追い詰めていく映画プロデューサー
上記のように、グイドを取り巻く8人の女性とグイドの「9人」といった意味合いになっていますね。
(解釈により、マスコミ或いは少年グイドを含めた9人と捉えることもできるかもしれません)
その他、
- 母の9番目の子供であること
- 9か月で生まれた赤子であること。
- 9歳の時に「サラギーナ」と出逢いイタリア男としての情熱的な愛に目覚めたこと
- 9作目の映画作品に行き詰っていること。
など、題名通り「9」にまつわるものが多数出てきます。
9と聞くとベートーヴェンの「第九」を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、ベートーヴェンは交響曲第9番を書き上げた後第10番を書き上げることなく死去しているので、グイドにとっての「最後の作品」という意味合いもあるかもしれません。
これはラストの空砲の表現の解釈にも繋がってくる考察です。
まさに「第九の呪い(wikipedia)」。
ちなみに偶然だと思いますが同じActシアターにて2020年の12月から稲垣吾郎さん主演で「No.9-不滅の旋律-」というベートーヴェンの第九をテーマとした作品が上演予定ですね。
たまたまでしょうけれどもめぐり合わせにハッとしました。
また、イタリア語の「Niente=無」のアナグラムの意味もありそうです。これは、様々な形の愛を失っていったグイドにもたらされるものでもありますね。
ラストの表現の解釈
ラストの拳銃自殺のシーンの「空砲」という形の表現について。
- 本当は発射されており、グイドは死んだ
⇒その後は死後に見た幻想 or NINE自体がグイドの回想 - 表現通り空砲で、グイドは生きた
⇒母や9歳グイドはこれまでと同じように生きたまま見た幻想
グイドは生きたまま幻想を見る統合失調症的な症状があるため、どちらの解釈も可能になっています。
このラストの「解釈により生死が分かれる」表現は、8 1/2のラストと共通する点ですね。
8 1/2という作品がフェリーニ監督が激怒する妻に送った懺悔と謝罪の作品、という説を考えると、
「ナイン」公演の感想
演出・舞台装置について – 効果的に機能するスクリーン
まず初めに、舞台装置について。
透明な幕が字幕や映画の映像を映すスクリーンとして効果的に使われていたことが非常に印象深かったです。
グイドがイタリア人男性であることや、元となったミュージカルがブロードウェイであることから、英語の曲やイタリア語の言葉が出てくることが多かったのですが、
「映画風の字幕」
をスクリーンで流すことで、作品全体の雰囲気を損なうことなく演出として機能していました。
映画の世界を描くという意味では同じくミュージカルの「雨に唄えば」を思い出しますが、今回の「ナイン」のこの舞台演出は、グイドの世界を映し出しているようで、面白い演出でしたね。
目線をどこにもっていけばよいか迷ってしまうところもありましたが。
元のミュージカルの雰囲気を損ねないために色々考えたんだろうと思いました。
回転する舞台も面白かったですね。建築現場のような武骨さ「いかにもセット風」でありメタ構造を意識させられる上に、転換すらも演出に取り入れてしまうスムーズ化にも一役かっていました。
幕が透明なのもあり、暗転という暗転、転換という転換が殆どないんですよね。
すべてがひとつなぎになっていた印象です。
円型になっている映画セットは、昔観に行ったヴェローナの円形劇場を思い出しました。
「有限の幻想」という映画のはかなさも感じさせられましたね。
その他、演出としては金色の砂が落ちていくシーンが印象的でした。
メタ構造を意識させられる演出
「映画作品を撮影する監督を覗く観客」
であったり、
「私生活を作品に取り上げることで私生活が壊れていく監督の私生活を切り取った作品を覗く観客」
といった階層のメタ構造になっていますね。
今回のミュージカルでも、幕が映画のスクリーンのように機能されるセットになっており、幕を覗く観客や、撮影場面を覗く観客、部屋を覗く観客・・・といった、観客が作品に巻き込まれて一部となっているような臨場感がありました。
直接的に巻き込まれる演出もありましたが(笑)
役と出演者について
声も顔もスタイルも素晴らしい。
一見軽薄なようで深みのあるグイドの役を見事に演じていました。
どことなく憂いがあるような役は、確かな実力のある方でないと演じるのが難しいものです。そういう意味では、まだ若いのに40代の男性を演じる苦労はあったかと思いますが、城田さんは素晴らしい俳優だと思います。
低い声も高い声も艶とのびやかさがあって非常によかったです。
個人的に「That’s right!」と叫ぶところの感情が爆発した場面の演技が素晴らしいと感じました。
元宝塚歌劇団雪組のみゆ様。
母のような愛を注ぐルイザ・・・日本人は比較的性に厳しいので、「グイドよ、何故こんな素晴らしい妻がいながらにして遊びまくっているのだ。」と思ったに違いない。
美しく強い、夫を支える理想の妻なんですけどね。
スタイル抜群すぎて、遠目から見てももう海外セレブにしか見えなかったですね。
歌声も素晴らしかったですね。
グイドが追い求める幻想のひとつ・・・である一方で、幻想としての自分ではなく、人間としての自分として見られたいという欲求がグイドとの愛を壊してゆくことになります。
衣装について
ストーリーについて
女性たちに見放されていくグイドの絶望を、絶妙に覆い隠すブラックユーモアで、終始暗くなりすぎずに表現している点が特徴的な作品ですね。
重いテーマを(一見)さっぱり描く。これは表現としてはかなり難しいことです。
女性の方がロマンチストに見えて現実主義で、男性の方がロマンチストが多いというのは、現実でもよくある話かもしれませんが、女性たちの方が夢想から覚めるのが早く、9歳から今まで夢想に捉われ続けていたグイドから離れていってしまいました。
個人的には、シナリオとしての評価はそこまで高くない作品でした。
作品の魅力について
Actシアターのコロナの感染対策について
いっこうに収束する気配がないので心配に思う方も多いかと思います。
今回は「QRコードによる緊急連絡先の登録 ※強制ではない」や、
物販の制限等で、なんとかできる限り元に近い形で公演できるよう頑張っている印象がありました。
ジャニーズの公演等と比べると密ではありましたが、体温チェックなど工夫されていましたね。
もちろん、握手や出待ちはなしです。
早く収束して、元通り上演できる日が来ますように。
観劇好きの筆者としては、応援するしかないという気持ちです。
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